2014年7月25日金曜日

メールマガジンを再スタートします。 vol.003

手仕事専科のweb citeのスタート時から、mail magazine の発行を予定しておりました。
しかし、業務の煩雑さやgoogle ブログソフトの不具合から、とん挫しておりました。
たくさんの方々にmail magazine 会員になっていただいておりましたが、お詫び申し上げます。

わたしの創った手仕事専科は、わたしの生き方の集大成になっています。
そして、それについて、勉強してきたことをメールでご紹介することを目的としています。

1.学生時代には、テニスクラブの仲間と4年間を過ごしました。
  明治大学軟式テニス同好会といったでしょうか。
  明大前の和泉校社で、日々練習をしていました。
  たくさんの仲間に恵まれて、幸せな時間を過ごしました。

2.卒業後は、海外への2年間の旅行があります。
  就職をしたくない気持ちでいたことから、日本の将来ともなるヨーロッパの英独仏をみることが、  
  目的でした。
  ひとり歩きが、性に会っていることから、ほとんどを一人で歩きました。
  文字通り、ユーラシア大陸をゆき、中近東をまわって、日本に戻りました。
  たくさんの優しい人々との出会いが、宝物となっています。

3.帰国後は、旅先で出会った妻と結婚し、3年間を実家の仕事を行いました。
  
  養豚と養鯉、養鰻ぎょうでした。
  凝り性でしたので、仕事は、熱心に行い技術も習得しました。
  貧しさから、妻には、苦労をかけました。
  死ぬまで、ずーっと妻を幸せにすることが、わたしの想いです。

4.日本ビューホテル株式会社への入社が、わたしの人生におおきな力となっています。
  29歳で就職しましたので、妻と二人の子供を養うには、大変でした。
  恥ずかしいほどの薄給でした。
  仕事がすきで、バカと言えるほどの仕事人間でした。
  今おもうと恥ずかしいことだらけです。
  このホテルの仕事から、学ぶことがたくさんありました。
  接客と営業と組織、そして、手仕事専科につながる「尾島利雄」先生との出会いです。

5.手仕事との出会い
  ホテルの企画担当から、県立博物館学芸部長の尾島先生の薫陶を受けました。
  未熟な私を時には叱り、そして、面倒を見てくれました。
  その後もわたしのホテルの赴任先には、必ず訪ねてくれました。
  尾島先生から、手仕事とのであいが、繋がりました。
  感謝しかありません。
  ひとは、逆境にあるときに本当のひとの姿を見ることになります。
  青森に単身赴任した時に、それを知ることになりました。
  

6.59歳でのリタイア
  羽鳥湖高原レジーナの森に日本ビューホテルから出向しておりました。
  しかし、思いもかけずに59歳で退職することになりました。
  おおきなホテルは、非情です。
  死ぬほどの苦労をしてきた社員を平気で会社の命で、首にします。
  そして、従来の給料の半額で、転属を平気で行います。
  それは、すべて、会社の名を借りた「個人」の選択です。
 

7.手仕事専科の構想
  しかし、それが、わたしの心に火を灯したのでしょうか。
  1年近い失業保険適用期間を頂戴しましたが、翌年の4月スタートで、ネットショップを、しかも  
  「手仕事専科」の名前で、起業することにいたしました。
  ホームページも創ったこともありません、なにもない中で、構想をもち、それらの専門家に相談  
  をしながら、起業しました。
  会社概要 http://www.geocities.jp/hwfhb259/kaisyagaiyou.html

8.ポリシー
  和美との生活を提唱することにいたしました。
  http://www.geocities.jp/hwfhb259/housin.html

9.天命を知る
  手仕事専科とそれに関わる人々との生き方が、わたしの天命と知りました。
  学生時代から、そして、ホテルでの仕事、その後の生き方が、すべて現在につながります。
  妻とのことは、たくさんの思い出が詰まっています。
  楽しいことばかりではありません、男と女としての確執もあります。
  しかし、今の手仕事専科は、ふたりの共通の関心事となります。
  残り少ない時間をこの仕事に費やしてゆきたいと存じております。
ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のmail magazinです。
株式会社とぴい企画
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